2026.5.30 - 7.4
会場:nca | nichido contemporary art
会期:2026年5月30日(土)~ 7月4日(土)営業時間:火 – 土 11:00 – 19:00 (日・月・祝日休廊)
オープニングレセプション:5月30日(土)17:00 ~ 19:00
出展作家:オラファー・エリアソン / ジェフ・ガウント / エレン・クーイ / 森下明音 / マリア・ネポムセノ / 坂本和也 / 楊珪宋
nca | nichido contemporary artは、上記アーティストによるグループ展、『Untamed beauty 原生風景』を開催いたします。本展は、従来の伝統的な概念とは一線を画す「美」の概念を探求するものです。アーティストの中には、我々が普段見かける風景のなかに存在する、隠れた美にフォーカスする者もいれば、混沌のなかに色彩やかたちの調和を生み出す者もいます。表現方法やアプローチも様々ですが、どの作品も対象そのものの本質によるものであれ、その背後にあるコンセプトによるものであれ、原生の美しさを生き生きと描き出し、自然の不規則さ、素朴さの中にこそ美しさがあることを私たちに示してくれるのです。
インスタレーション、絵画、彫刻、写真、映像など、幅広いメディアを駆使するオラファー・エリアソンは、芸術、科学、自然現象を融合させ、知覚や環境意識を探求する、多様で没入感のある作品で知られています。本作品は、対照的な2つの季節のアイスランドの風景を描いています。注視してはじめて、その風景が完璧に同じアングルから撮影されたものであることがわかります。アイスランドの荒々しく手つかずの自然は、光、水、氷といった自然の要素に対する彼の強い関心を呼び起こします。これは、ギャラリーや美術館という管理された環境の中で、自然現象を再現したり模倣したりすることが多い彼のインスタレーション作品の多くに顕著に見られます。
本展で紹介するジェフ・ガウントの作品は、アーティストキャリア初期に制作された作品シリーズです。当時、彼の作品は、彼自身の言葉を借りれば、ヒューストンの郊外で育ったことに対する複雑な感情が反映された「封じ込められたミニチュアの風景」を描いていました。小さな木々や風景は容器の形に合わせられ、根やつる、枝がさまざまな方向に向かって伸びています。時に愛らしく無邪気な表情を見せつつも、人物の代わりに無表情な鳥や魚が描かれるガウントの作品には、空虚感やポストヒューマン的な感覚を伝えているようです。
エレン・クーイの作品は、オランダ黄金時代の都市風景画家たちの伝統を受け継ぎ、風景と人物を融合させた演劇的イメージを生き生きと描き出しています。ヨーロッパを代表する現代風景写真家の一人であるクーイは、私たちに幻想と現実の境界を探求するよう促します。一見すると、これらの風景のパノラマに描かれた人々は、周囲の環境に翻弄されているように見えます。しかし、注意深く観察すると、風景が住人たちに反応しているかのように、より複雑な関係性が浮かび上がってきます。私たちが目にする自然の光景は、これらの人々の内面の感情を象徴的に映し出したものです。19世紀の心理的肖像画に匹敵する手法で、クーイは風景が持つ野性的な美しさを大いに活用し、神話や偶然の出会い、そして外界との関係を語ろうとしています。
自然豊かな大分県への移住は、森下明音の作家活動に転換点をもたらしました。油絵具は彼女にとって決して自然な素材とは感じられず、また適切なアプローチとも思えませんでした。森下はそれらを放棄し、土を集め、精製して顔料にし、フレスコ技法を応用した制作を行うようになりました。麻袋の繊維と消石灰を混ぜて作った漆喰に、井戸水で溶いた土を塗り重ねるといった手法です。その支持体として、地元の工場から廃棄された木材の端材で木枠や額縁を作り、麻袋をキャンバスの代用として再利用しています。森下の作品表現は、その瞬間の周囲の環境、その質感や感触を捉えた、ある種のスナップショットとなるのです。現代社会と自然環境の間にある巨大な隔たりを埋めようと試み、また自然の荒々しい力を飼いならすことは決してしない方法を模索しながら自然との再接続を試みています。
マリア・ネポムセノはブラジルの伝統工芸の技法に着想を得て、独自の制作プロセスを確立しました。彼女は、ロープの編み込み、ビーズ、独創的な陶器の造形、そして拾い集めたオブジェを用い、有機的な彫刻やインスタレーション作品を制作しています。鮮やかで豊かな色彩がリオのカーニバルの陽気な雰囲気を呼び起こすネポムセノの作品は、ブラジルの文化や伝統、風景、動物など、ミクロなものからマクロなものまで多岐にわたる要素を体現しています。流動的で有機的な形態は周囲の空間へと自由に広がり、時に触れてみたいという欲求を掻き立てます。また、ネポムセノは、さまざまなブラジル先住民の地域コミュニティと交流する機会をもたらした、いくつかのフィールドリサーチプロジェクトにも取り組んでいます。
坂本和也は植物の生態系と人間社会との間に共通点があることに気づいて以来、植物を制作のメインテーマにしています。開花後に種を残してその生命サイクルを継続する花に対し、水草は増殖によって急速に成長し続けます。植物を育て、観察しながら、坂本は自身の作品において、人間の生命の偶然性と必然性、人間と自然の関係性を探求し続けます。坂本の描く花々はアーティストの即興的な身体的行為の成果、あるいは制作の過程に伴う偶然性を意図的に受け入れながら層を重ね、精巧に構築されたように見えます。それにもかかわらず、それらは生命の儚い運命、生存戦略、そして逞しさを象徴しており、各々が自らの存在を主張しながらも、完璧な調和の中で共存しています。
楊珪宋(ヨウ・ケイソウ)が陶で創る草の作品群は、ひび割れたアスファルトや敷石の間から、自由奔放に、手つかずのまま伸びる予測不能で不可解な生命そのものを映し出しているかのようです。過酷で困難な環境下でも草は成長し続け、生き生きと美しく息づいています。ヨウは、自身の作品を通して生きるという行為を、時に私たちがもはやコントロールできない、繊細なものとして捉えています。血液、ひいては生命を象徴する赤を基調とし、心臓や脳の形をしたこれまでの陶芸作品と、根が血管と同じ役割を果たす緑の雑草をモチーフにした近年の陶芸作品との間に類似性を見出します。緑は、赤の補色として赤に取って代わり、ヨウの作品は私たちに親近感と安らぎをもたらし、人生の予測不可能性や偶然性を受け入れるよう促しているようです。