Identity XII – 崇高のための覚書 ―curated by Taro Amano―

Identity XII – 崇高のための覚書 ―curated by Taro Amano―

2016 6.24 - 7.30

オープニングレセプション
6.24 (金) 18:00 - 20:00

Press Release

会場:nca | nichido contemporary art
会期:2016年6月24日(金)-7月30日(土)
営業時間:火 – 土 11:00 – 19:00 (日・月・祝 休廊)
レセプション:6月24日(金)18:00 – 20:00

参加アーティスト:
川久保ジョイ | 小西紀行 | 對木裕里 | 平川恒太 | 藤井健司 | 森下明音| 楊珪宋
Yoi Kawakubo | Toshiyuki Konishi | Yuri Tsuiki | Kota Hirakawa | Kenji Fujii | Akane Morishita | Keiso Yo

この度、nca | nichido contemporary artは、グループ展、“Identity XII- curated by Taro Amano -”を開催いたします。本展では天野太郎氏をゲストキュレーターとして迎え、上記アーティストの作品を発表いたします。

Identity XII – 崇高のための覚書

本展は、展覧会タイトルにある「崇高」をテーマにしていますが、それぞれの作家がそのテーマに従って作品を制作した訳ではありません。「崇高」という概念は、制作者側というより、むしろ作品を受容する側が感じるべき領域に属するものだからです。
美術史家岡田温司がその著書「生政治と芸術」の中で、テオドール・ジェリコーの人体の部位を描いた絵画群を、ドラクロワが美術史上初の「主題なき絵画」であり、同時に「ジェリコーのこの断片は真に崇高である」と評したことを紹介しています。このドラクロワの言葉に端的に示されているように、「神話」、「宗教」や「歴史」が絵画の重要な主題であった時代から、19世紀を境に、絵画から主題が失われ、この主題なき時代は、今日まで続くことになります。共同体において共有すべき記憶=視覚的イメージとしての主題が、特定の受容者(王侯貴族や教会)の共通の認識に立った主題ゆえにその地位が担保されてきた時代から、誰もが美術の受容者になりえることで却って共通の認識そのものが喪失され今日に至っているとも言えます。
そして、主題は作り手の表現から個別に生まれ始めます。多くの人々によって共有される時代から主題は個別化されます。ここでは、そうした個々の作り手から発せられる主題に共感するだけではなく、鑑賞者が個別の作品の前で快、苦痛を超えて言葉には表せない共感を経験することである種の共通感覚が生まれるのです。
今日の、極端な反知性主義、原発事故等に見られる人智の及びえない事態、部分が打ち捨てられ全体が優先される社会であるからこそ、個別の表現行為に向き合ことで喚起される情動を経験することの大切さが求められているのではないでしょうか。

天野 太郎


天野太郎  Taro AMANO
北海道立近代美術館勤務を経て、2015年まで横浜美術館で国内外での数々の展覧会企画に携り、現代は横浜市民ギャラリーあざみ野で主席学芸員として企画展を担当。美術評論家連盟所属。主な企画展覧会は、 「ニューヨーク・ニューアート チェース マンハッタン銀行コレクション展」(89年)、「森村泰昌展 美に至る病―女優になった私」(96年)、「奈良美智展 I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」展(2001年)、「ノンセクト・ラディカル 現代の写真III」(04年) 、「アイドル!」(06年)、「金氏徹平:溶け出す都市、空白の森」展(09年),「あざみ野コンテンポラリー もう一つの選択」展(15)、「石川竜一」展(16)など。横浜トリエンナーレ2005キュレーター、同トリエンナーレ 2011、2014キュレトリアル・ヘッド。多摩美術大学、城西国際大学、国士舘大学非常勤講師。

協力:アラタニウラノ/ 山越紀子(スタジオ アウフヘーベン)

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