ヴィック・ムニーズ「Threads / スレッズ」

ヴィック・ムニーズ
「Threads / スレッズ」

2025.11.5 - 12.25

「アートウィーク東京2025」
営業時間:
11/5 (水) 10:00 – 19:00
11/6 (木) 10:00 – 19:00
11/7 (金) 10:00 – 19:00
11/8 (土) 10:00 – 19:00
11/9 (日) 10:00 – 18:00

©Vik Muniz
Press Release

会期:2025年11月5日(水)-12月25日(木)
営業時間:火 – 土 11:00 – 19:00 (日・月・祝日休廊)*「アートウィーク東京」期間中(11/9)は開廊します(時間は上記のとおり)
オープニングレセプション:11月8日(土)17:00 – 19:00 (作家が在廊いたします。)
 
nca | nichido contemporary art は、ブラジル人アーティスト、ヴィック・ムニーズの新作個展を開催いたします。
本展はムニーズの最新シリーズ「Threads / スレッズ」より、日本文化に着想を得、本展のために制作した作品群を発表します。
着物店、花瓶の花、通勤するサラリーマン… これらはムニーズが過去30年で知り得た、愛する日本への個人的な視覚的オマージュと解釈のほんの一部に過ぎません。異なるさまざまなAIプログラムを交差的に使用して構築したイメ―ジは、ムニーズが極めて論争的でデリケートな主題とみなされるものに対して行った探求と解釈を表しています。ムニーズ自身の言葉を借りれば、「人と現実との関係を改善するために開発された」ツールであるゆえに、AI技術の発展によって、人と現実世界がどのような影響を受けたのか?という避けられない問いが浮かび上がります。 同時に、ムニーズは、非常に触覚的で現実的なものへも目を向けます。それは、アーティストとブラジルの刺繍職人たちとの共同作業による、伝統的な刺繍技法の活用です。これによって画像に抽象的な質感が表れ、同時に最新技術の使用との鮮烈な対比が創造されるのです。
 



 
ヴィック・ムニーズ:AIと刺繍のあいだで
Vik Muniz: Between Artificial Intelligence and Embroidery
 

長谷川祐子(キュレーター、美術史)


 
物質のリアリティと現代性——彫刻性とポップ性

ムニーズの現代性は、デジタル時代の技術への賛美ではなく、むしろ物質への徹底した回帰にある。初期から彼は砂糖、チョコレート、ゴミ、土、塵といった日常の物質を用い、リオのファヴェーラに生きる子どもたちの像を描き出してきた。それらは単なる素材ではなく、「現実の重み」と「社会的記憶」を媒介する感覚的な媒体だった。現実の物質がもつ質量や匂い、手触りが、身体を通して記憶と感情を呼び覚ます触媒として機能していたのである。
ムニーズの作品には、彫刻的構成感覚とポップ的諧謔が共存している。雲と土、ワイヤーと糸、絵葉書、キャビア、ピーナッツバターとゼリー、ゴミなど現代消費の残骸が織りなす風景を彷徨いながら、彼は「写真の幻影」を現代的に再演する。素材の可塑性を活かしながら、芸術史の名作を軽やかに引用し、再構成するその手つきは、ピカソがアフリカ彫刻に見出した形態的自由や、ウォーホルの複製芸術のポップ性に連なっている。ムニーズはメディウムそのものを再文脈化し、「媒介=創造」であることを体現している。
 
現実を媒介する装置としてのAI
近年、ヴィック・ムニーズはChatGPTやMidJourneyといったAIプログラムを横断的に用いながら、現代の「見ること」と「つくること」の関係を根底から問い直している。彼は言語生成AIを使って画像生成AIのプロンプトを構築し、異なる知性同士が互いに語り合うような構造を生み出す。この往復のプロセスは、まるで二つの意識が拮抗しながら、同時に創造の領域を押し広げる知的な遊戯のようにも見える。
「ときどきChatGPTがMidJourneyを“出し抜く”瞬間がある。それがとても痛快なんだ」とムニーズは語る。
AIが作家の意図を察し、ある種の“判断”を見せるとき、そこに彼は驚きと不気味さの両方を感じ取る。それはまるで、心を覗かれているような感覚である。重要なのはAIが生み出す「結果」ではなく「本当に自分が求めているもの」を得ることにある。AIは人間の感覚を拡張する道具であると同時に、欲望と満足の構造そのものを照射する鏡でもあるのだ。感覚と論理が拮抗する新しい創造の場―ムニーズにとってAIは結果を生み出すツールではなく、感覚を再教育する媒介者である。それは、私たちの知覚の構造や「現実」との距離を可視化し、感じる力そのものを試す装置である。この「物質の詩学」は、AIという非物質的な技術に向き合う現在の実践にも連なっている。ムニーズはAIを使ってイメージを構築しつつも、それを再び触覚の領域へ還元する。AIの冷たい抽象性と人間の手がもつ温度を結び直すために、彼は再び「物」に戻るのだ。
 
AIから刺繍へ——情報から触覚への転換
今回の新作において、ムニーズは既存の写真や名画の再構築ではなく、AIが生成したイメージそのもの——つまり彼が入力した言葉のプロンプトから導かれた「誰の記憶にも属さない像」——が出発点とした。その画面は、キュビズム的な構造をもち、赤やオレンジ、黄色などの暖色と、青や緑の表現主義的な色彩が緊密に交錯している。それらの色面がパッチワークのように配置されることで、画面全体には緊張感のある生命エネルギーが充満している。それは、20世紀初頭の絵画が内包していた、構造的秩序とユートピア的調和への信頼を、AIという非人間的知性を介して再び呼び覚まそうとしているようにも見える。
そしてそのAI生成画像は、ブラジルの刺繍職人たちの手によって再構築される。ここで糸は単なる絵の具の代替物ではなく、触覚的な存在の集積そのものとして現れている。刺繍の温かく重ねられていくタッチが、AIの抽象的な構成に身体の記憶と呼吸を与えているかのようだ。AIと、ムニーズの「人間性の確かさ」を求める意思の協働が、情報から物質への往復を可能にしている。糸の厚みと温度は写真の平面性によっていったん遠ざけられるが、観る者の想像のなかで再び立体的に可感化されるのだ。
今回日本で発表される作品群は、魚市場や通勤電車のサラリーマン、花瓶の生花、僧侶や茶の湯といった、日本の日常に潜む詩的瞬間をモチーフにしている。AIで設計された構図はキュビスム的に構築され、刺繍によって柔らかなテクスチャーを得る。
その温かな手触りと強い色彩、構造化された日常の断片の中に、私たちはいつも見過ごしている光景のもうひとつの現実を目撃する。それは日本人の感覚の奥に潜む「人間的な温度」そのものであり、AIという冷たい知性を介して逆説的に浮かび上がる、ヒューマニティの輪郭である。
 
結語——AIの時代の「感じる知性」
ムニーズのAI作品は、技術の賛美でも否定でもなく、「知ること」と「感じること」のあいだを往復する現代的実践である。
AIと刺繍、コードと糸、アルゴリズムと手のあいだを行き来しながら、彼は知覚の新しい訓練を提案する。それは、技術が加速する現代において、なおも人間的な反応と感情の持続を信じる行為である。ムニーズの芸術は、AIという非人間的知性の中から、再び「感じ、反応する知性(intelligence that feels and reacts)」を取り戻すための詩的な試みである。
彼は、テクノロジーと人間のあいだを縫い合わせながら、現代における「現実を感じる力」をもう一度、私たちの手のひらに返している。
 


 
ヴィック・ムニーズの「大いなる業(Magnum Opus)」
 

北桂樹 (現代美術研究者)


 
「錬金術」とは、物質を変換し、思考を媒介し、結晶化させる知的装置の比喩として使われる。それは、物質と概念、技術と詩、世界と自己を循環的に転化させるための方法論である。ブラジル人アーティストのヴィック・ムニーズの制作は、まさにその現代的な再演といえる。
 
Nigredo:幻想と物質の錬金術
価値と無価値、物質と非物質、時間と記憶、遠く離れたふたつの文化の伝統とその象徴性——アートとは、異なるアイデンティティを衝突させ、その摩擦の熱を価値へと転換する行為である。
《Sugar Children》(1996)において、砂糖の粒によって子どもたちの肖像を描いたとき、ムニーズはすでに「物質が概念へと転化する」瞬間を見ていた。ムニーズの手にかかれば、世界の片隅に眠るさまざまな物質は、やがて見るという行為の構造そのものを暴き出す「思考のレンズ」へと変換される。その確信こそが、彼の作品を支えている。
作り出されたレンズが写し出す幻想は、わたしたちを欺く仮面ではなく、現実を知るための装置として機能する。
彼の「ありうる限り最低の幻想(the worst possible illusion)」は、鑑賞者を束の間騙したのち、その仕掛けを明かす。その瞬間に訪れる「崩壊の快楽」こそ、意味が生まれる原点である。
この刹那の震えの中で、鑑賞者は受け手ではなく、意味をともに生成する共犯者へと変わる。ムニーズが見せるのは物質でも技巧でも写真でもない。彼が見せるのは、知覚が概念へと変わる、その刹那に立ち上がる光のゆらめきである。
 
Albedo:アルゴリズムによる知への転化
ムニーズの錬金術は、いまやかつてない領域に踏み込んだ。
それは、人工知能(AI)という新しい素材を、視覚の思考装置の中に導き入れることである。
かつて彼が砂糖やチョコレートを扱ったように、いま選び取ったのは言語とアルゴリズム——現代社会に溢れ、増殖し、劣化しつつあるデジタルのデブリ(残骸)である。
本展においてムニーズは、長年にわたる日本との関わりの中で知った、伝統・工芸・象徴性を、テクノロジーの世界への完全な没入とシームレスに統合する日本文化の象徴的再構成を一つのプロセスとして提示している。
言語生成AI(ChatGPT)と画像生成AI(Midjourney)を交錯させ、言葉とイメージの往還の先に自らが抱く日本の印象を素描させる。
生成された言葉は、日本の図像学(イコノグラフィー)に対する、ある種ありふれた視点を反映するように練り込まれている。
それは単なるAIによる視覚化の試みではなく、思考や記憶が、文化的データの断片へと変換されていく過程である。AIによって抽出されたイメージは、同時にムニーズ自身の思考を他者の想像力へと転送し、その曖昧な揺らぎの中で、感覚が知へと転化させる力を獲得する。
 
Citrinitas:物質の再誕、手仕事による再統合
現在のAIは現実世界を参照し、イメージを生成する。だがムニーズは、やがて「現実から生成された画像」が、「画像から生成された画像」によって乗り越えられる時点が訪れ、そこから劣化の連鎖が生じることを懸念している。
ムニーズとAIによって生成されたデジタルイメージはリオデジャネイロ郊外の「Bordadeiras(ボルダデイラス)」と呼ばれる刺繍職人の女性たちの手によって縫いとめられる。
AIがもたらす非物質的な想像力が、人間の手によって再び具体的な存在へと還元されるこの循環に、ムニーズの錬金術の核心がある。
テクノロジーが夢見た完全な自動化を、彼はあえて「不完全な手仕事」として引き戻す。そこには、分断された世界を再びひとつに結び直そうとする構造的要請がある。その過程で生じる摩擦が、変換の熱を生み、「金」——すなわち認識の新たな地平を錬成する。
キュビズム的に構築されたそのイメージは、ムニーズ自身が述べるように、「キュビスムは写真の覇権的な力を超えてイメージを探求するための人間の知性の跳躍であり、分析的キュビスムは視覚体験を人間化するための戦略だった」という理念を、AI時代の知覚再構築として継承している。
 
Rubedo:写真化による思考のレンズの獲得
ムニーズの錬金術は、最終段階において「写真化」によって結晶化する。
チェコの思想家ヴィレム・フルッサーは、写真を含む「テクノ画像が創り出す想像力とは、概念をテクストから画像へとコード化し直す能力であるi)」と述べた。
ムニーズにとって、写真とは世界とイメージのあいだに生じる共鳴であり、思考や物質が交わる「コードの再編」の場である。ムニーズの錬金術はこの写真化によるコード化によって完成させられる。
つまり、わたしたちがムニーズのイメージと対峙するとき、見ているのは新たにコード化された「世界の概念」そのものなのである。
ムニーズの錬金術によってデジタルのデブリという素材をもとに再構築されたイメージは、かつて彼がチョコレートや砂糖を通して、瞑想したり、思考したりできる空間をつくり出してきたように、来るべき世界(ポストAI時代)を見つめ直し、検討するための静かな場を、私たちに差し出している。
日本へのまなざしは、デジタルの思考を経由し、ブラジルの手仕事と溶け合いながら、新しい世界との関係として光のゆらめきの中で静かに変容し、結晶化される。
そしてその結晶として生まれた作品は、ムニーズの錬金術が生み出した「賢者の石」——すなわち世界を理解するための「思考のレンズ」として、いま私たちの前に立ち現れる。
 
i) ヴィレム・フルッサー『写真の哲学のために テクノロジーとヴィジュアルカルチャー』深川雅文訳、勁草書房、1999年、p. 16
 


 
ヴィック・ムニーズ
1961年サンパウロ生まれ。現在ニューヨークとリオデジャネイロを拠点に制作活動。
ムニーズは、現代の象徴的なイメージを流用し、再解釈する独自のスタイルで作品を制作国際的に活躍している多作のアーティストです。CP(ニューヨーク)、ホイットニー美術館、ニューヨーク近代美術館、モスクワハウスオブフォトグラフィー、リオデジャネイロ近代美術館(ブラジル)、マウリッツハイス美術館(オランダ)、龍美術館(上海)、ベルヴェデーレ美術館(ウィーン)などキャリア初期から今日まで大規模な個展を開催し、アメリカや世界の主要都市で個展を行っており、また国内外の主要な美術館に作品が収蔵されています。
また、ハーバード大学、イェール大学、TED Talks、世界経済フォーラム、ニューヨーク近代美術館、ボストン美術館、プリンセントン大学などでゲストスピーカーとして講演も行っており、 “Reflex: A Vik Muniz Primer (Aperture, 2005)”など多数の著書も出版されています。 リオデジャネイロの貧民街や埋立地での活動を描いたドキュメンタリー映画「Waste Land」は、2010年のアカデミー賞にノミネートされました。
また、ブラジルと米国で教育や社会プロジェクトにも携わっており、最近ではヒューマンズ・ライト・ウォッチや、アマゾンの熱帯雨林の保護に取り組むブラジルの小規模な非営利団体イマゾンなど、多くの人道的キャンペーンに一貫して貢献しています。

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