nca | nichido contemporary art

EXHIBITION
2017 3.10 - 4.08


黃品玲(ピンリン・ホワン)「ダスト・オブ・マインド」

Installation >>

オープニングレセプション
3.10 (金) 18:00 - 20:00



場所:nca | nichido contemporary art
会期:2017年3月10日(金)- 4月8日(土)
営業時間:火 – 土 11:00 – 19:00 (日・月・祝 休廊)
レセプション:3月10日(金)18:00 – 20:00 (作家も在廊致します)


nca | nichido contemporary artは台湾出身の若手アーティスト、ピンリン・ホワンによる日本初個展「ダストオブマインド」を開催いたします。ホワンは自身のこれまでの体験や記憶の小さな断片を拾い集め、紡ぎ合わせた詩的な風景画を描いています。
それは留学のために自国台湾を長期間離れたホワンが故郷を想い、改めて外界(社会)と自己との関係を見つめなおしたことによって生まれた心象風景です。描き留めた何冊ものスケッチブックをもとにしながら過去と現在を行き来し見落としてしまいがちな小さな事物を捉え画面に重なって表れるそのイメージは、柔らかな色彩と質感、筆の痕跡によって独特の世界を創り出します。視点によって変化するその風景は私たちにどこか懐かしさと心地よさを感じさせます。
本展では大作5点含む最新作のペインティング約20点を発表いたします。
(3/16-3/19に東京国際フォーラムにて開催されるアートフェア東京にもホワンの作品を出展いたします。是非合わせてご高覧ください。)


ひと筆、そして詩情豊かなる浮遊

「思い出とは、虚無からもぎ取られた人生の断片である。どんなもやい綱もない。それらを繋ぎ止め、固定するものはなにもない。それらを確認させてくれるものもほとんどなにもない。時の流れのままに、僕らが恣意的に再現したもの以外に、時間のいかなる序列もない。時は過ぎ去っていった。季節というものがあった。スキーをしたり乾し草遊びをしたりした。始まりも終わりもなかった。もう過去はなかったし、それにとても長いあいだ未来もなかった。ただ持続があった。」

―ジョルジュ・ペレック 『Wあるいは子供の頃の思い出』 

時間は煙にさえ及ばない、いつも一瞬にして跡形もなく消え去っていく。多くの場合、ダストのように、肉眼では見極めがたいものの、しかしそれはしっかりと空気の中を漂い、吹く風とともに飛び散っている。風が止むのを待ち、名残惜しげに四方へと落ちては、あちこちに根付き、集まり、交差する新旧が入り組んだ後、より具体的な塊へと形成されていく。間髪をいれずにやってくる現実を、じっと持ち堪えているゆえに、異なる生命の痕跡を秘め隠し、待ちわびていた縁ある人がふとそれを見つけたとき、その中にひそむ意義と価値の在りかが掘り起こされる。これはきっと、実に容易な事ではない。だからこそ、時間に姿かたちあるものを付与する。それは記憶に対してだけでなく、もっと言えば美に対するある種の追求でもある。

時間と記憶の為に姿かたちを付与する

黄品玲(ピンリン・ホワン)の創作は、これまでもずっとこのような考えをベースにしてきた。内なる自分に探りを入れ、模索し、それと同時に果てしなく広い世界に向かって歩み出している。彼女は、パリ国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)で修士号を取得した後、台湾へ戻り、新(シン)竹(ジュー)県にある実家で、創作という旅路の重要なスタートを切った。新竹はその地形によって、冬と夏の分け隔てがなく、風の勢いが他の地域よりも激しい為、かねてより“風の城”と呼ばれている。

このような独特な気候環境が相まってか、一時的に構えたアトリエの2階の窓から外を眺めれば、そう遠くないところに聳え立つ1本の大きな木の枝葉が、力強く風にゆられる情景を、黄はいつもはっきりと見ることができる。その間を窓が遮るため、室内と屋外がにわかに、ある部分では繋がり合い、もう一部分では関わりのない2つの異質な時空に分けられる。移り変わる時節の変化につられて、繰り返し放映される1つの映像を観ているかのような、恍惚とした状態が引き起こされる。ここでは、虚実の境界線は曖昧で不確かなものとなっていく。草花、河川、湖、海、山林、雲や霧…、終わりも始まりもない記憶の断片までも、理知がその全てを知り抜く前に、みな純粋たる容貌で彼女のキャンパスへと到着する。

その一方で、制作期間に入る前の1、2ヶ月の間、黄はその都度大量に描きためるドローイング、水彩、ないしは鉱物性顔料などによるラフスケッチを通して、繰り返しメディウムのチェックと整理することを習慣づけている。彼女は、その中にひそみ隠れた、内包する真実をどうにか見いだそうと試みる。時間とは、これらのメディウムに質的変化をもたらす要となるファクターである。ひとたび発酵し始めると、ラフスケッチの一部分が自然な流れに沿って正式なクリエイションへと発展を遂げていく。これらは、他のアーティスト達に類を見ないものではないが、注目すべき点は、彼女は制作に取り掛かる前、身の回りにある本を思いのまま手にとっては、恣意的にページをめくるのである。例えば、最近の読んだ書物は、尉(ウェイ)任(レン)之(チー)の『室内の静物・窓の外の風景』、カズオ・イシグロの『遠い山なみの光』、G.G. ドゥ・クレランボーの『ドゥ・クレランボーの眼』など、あげれば枚挙にいとまがない。これら異なる様式と領域をまたがる文字たちは、期せずして時間、記憶や風景に対するそれぞれの見方を示している。まるで儀式のような振る舞いを介して、文字と絵画の両者が呈する生命への再考と、実践における相異を、黄は絶えず考えさせられてきた。そして同世代の作家には稀にみる文学的趣向をも、彼女は無意識のうちに作品に注いでるのかもしれない。

恍惚でゆったりとした暖かな情景

息つくまもなく一気に作品を完成させるため、黄はキャンパスの前で可能な限りめいっぱい手足を伸ばし、描き込みのリハーサルを繰り返し行うことによって、身体をキャンパスに慣れさせる。彼女はメディウムと尺幅の制限にもう怯えたりしない。手のひらサイズの小さな作品から、意識的に自ら選択した2枚併せの大作まで、たとえ理知が先立った状態での創作だとしても、顔料を飛び散らす技法を用いることによって、自動的に生成される偶発的ビジュアル効果が画風に華を添えている。彼女自身でさえ、一つひとつの作品がもたらすコントロール不能な驚きと喜びを楽しんでいるのだ。時には重厚な、時には軽い単色の顔料を、ひと塗り、そしてひと筆ずつ重ねながら、キャンパスの上で順を追って押し広げていく。途中で時々画筆を休め、構図のバランス、積み重なる顔料のラインと肌理をチェックし、最後にあてがうモノ、或いはその位置を決める。これら彼女の脳裏にある、言語や文字では言い表せない感覚は、熟知しているようで馴染みがない、まるで誰一人いないランドスケープのような情景と瞬く間に溶け合っていく。

「ダスト・オブ・マインド」と題した日本初の本展覧会は、彼女がゆったりとした揺るがないリズムをもって、じわじわと綿密に序曲を展開していく、その第1楽章と捉えていいだろう。大量のホワイトで画面を構成するといった、これまで慣れ親しんできた創作とは打って変わって、彼女は濃い青や真黒をあえて多用することに挑戦し、過去作と強烈な対比を見せている。キャンパスの全面を覆うかのように塗り込まれた色の塊は、日の出を迎え次第に乳白色の空へと明けていくものもあれば、静まり返った静寂で漆黒の夜もある。ある時は荒れ狂う風のなかの雨景色であり、またある時はまるで永久に溶けることのない氷の壁のようである。…あらゆるシーンは、あのマルセル・プルーストが描く緻密でいて荒漠たるタッチ、恍惚の中にもゆとりのある筆使いを連想させる。意図したストーリー展開があるかどうかはもはや重要ではない、むしろ思うままに流れる意識により近い。過去、現在と未来が互いに交差しながらも推移し、錯綜する巨大で目の細かい網を織りあげている。その中に潜んでいる、かすかに見え隠れする真理は、日が経つのを待ち、後から振り返った時にこそ、やっと明るみが引き出されるという一縷の望みだけを残す。ひいては、たとえ未だかつて徹底的に解読されてこなかったとしても、ある一つの謎めいたカタチとして必然的に存在することで、私たちにもっと思索する必要を、訴えかけているのかもしれない。

そうだとしても、叙述の欠如そのものが無味どころか、かえって人々に温かみと安心を深く感じさせてくれる。他に理由などない。今までにない開けた視点を通して、多くのものを受けいれてきた絵画とは、彼女が心の限りを尽くし、最も誠実で嘘偽りのない感受性で採集してきた魂のイマジネーションであり、そこから繊細に脱皮を遂げていったものである。黄の創作の魅力とは、実在するすべての物事と情景を、最後は幻の中の想像へと躍進させながらも、どこか現実味を帯びているところにある。──激動の荒波の上を舞う吹雪のように、太陽の光が柔らかに降り注ぐことは可能だし、海底に生えていたはずの緑色のサンゴも、誇らかで孤高な一株の植物と化し、灰味がかった白い大地に根を張っていたりする。これらはすべて、矛盾のある美しさを自然と吐露している。慎重に目を凝らしたものであろうが、或いは偶然目にしたものであろうが、最後に、観る側である私たちがすべきことは、視線のみならず全身全霊を惜しみなくその画面の中に身を投じ、吹く風に揺れ動く窓の内側から伝わってくる小さな語りやその声に、注意深く耳を傾けることだ。そして意のままに自らを遥か遠いもう一つの宇宙へとゆっくりと移行させ、詩情豊かに浮遊させるのだ。

張禮豪 | リーハオ・チャン (美術評論家)
(訳池田リリィ茜藍)


ピンリン・ホワン | 黄品玲(1986年台湾、新竹市生まれ。現在新竹市在住。)
2014 エコールデボザール(フランス国立高等美術学校)大学院卒業
2009 国立台北芸術大学卒業
主な個展 : “D'ailleurs” Galerie Paris Horizon パリ(2015), “Inner Land” A Gallery,台北 (2015),” Lonely Land “Beaux-Arts de Parisパリ (2014), “A Piece of Peace” MU Gallery, Prague, Czech Republic プラハ (2013) 
近年の主なグループ展 : “A Place of One's Own” JuMing Museum台北 (2016), “Remaining Sceneries “, galerie nichido Taipei 台北 (2016), “I Send You This Short Note | Co-Exhibition by Hua-Chen Huang and Pin-Ling Huang” Winwin Art, 高雄 (2016), “New Abstract Painting in Taiwan “, Jing Lu Art, 台北 (2015), “What Are We Mapping”, The Pier-2 Art center, 高雄(2014), “Melting Potes! 2013”, Musee du Montparnasse, パリ(2013), “The Islands of The Day Before”, Kuandu Museum of Fine A


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